あいまいな悲しみの辞書 (旅編)|The Dictionary of Obscure Sorrows



ふと、旅の途中の知らない森の中や、遥か遠い空を見渡した時の、言葉にならない感覚。

時を超えたり、目に見えない国境を越えたり、言葉を超えたりするうちに、浮かんでは消える。

誰もが知っているようで知らない言葉の辞書。


あいまいな悲しみの辞書:
ジョン・ケーニッヒによって作成された新語の概要。
経験したことがあっても、単語になっていない感情表現に名前をつけ、言語の穴を埋めることを目的としている。




Sonder: 誰もが人生の物語を持っていることに気付くこと

あなたは主人公で、主役を演じている。目の前に広がる自分だけの物語の中心にいるスターだ。あなたの軌道のすぐそばにいる友人や家族という共演者に囲まれて。

少し離れたところでは、見知った顔の人達や、しばらく会っていない人達とが、散らばって繋がりあっている。

だけど、その背景にも、薄ぼんやりとピントの合わないエキストラ達がいる。廻るままに、道ですれ違う人達の中にも、それぞれ自分と同じように、リアルで複雑な人生を生きている。

目には映らなくとも、ひとりひとりの胸に秘められた野望、仲間、日常、過ち、悩み、成功、生まれながらの混沌に取り巻かれながら。

物語が次のシーンに移ると、そこには星の数ほどの知らない物語が、雲の中に見え隠れしている。登場人物だけがわかる冗談と裏話が共演者に紡がれる、存在すら知ることのない物語が。

それは一瞬のまたたきに見えるかもしれない。コーヒーをすする誰かの後ろで。高速を走る車の残像や、夕暮れの窓の光に。





Vemödalen: すでにあるものに感じる嫌悪感


すでに世にある何千枚の写真とそっくりの"いい"写真を撮った時に感じるもどかしさ。
同じ夕陽、同じ滝、同じ曲線の腰、同じ瞳のアップ写真など。個性的な被写体を空っぽで俗っぽいチープなものに変えてしまった。まるで大量生産の家具のパーツで自分を組み立ててしまったみたいに。



これはトルコで思い付いたんだ。カパドキアの古代地下都市ツアーで、そそられる薄暗い地下室の写真を撮ってたんだけど、写真を撮るのをやめて、後でポストカードを買うことにした。撮るものが同じなら僕が撮ろうが撮るまいが違いはないでしょ?
それに、そもそも写真はIKEAの製品みたいなもので、出来のいい既製品のパーツで自分を組み立ててしまうようなものだってこと。

でも、考えてみたんだ。もし家に帰るまでにカメラを海に落としたとしても、インターネットで他の人が撮った何千枚ってそっくりの写真の中から、何枚この旅と同じ写真が見つけられるんだろう?てさ。他の人が撮った別の月の写真とか、タージマハールとかスズメの写真と何が違う?
ほんと、他にない写真ってのは人の顔写真だって僕も知ってる。だからさ、ナルシストだったとしても、少なくともセルフィ(自撮り)は正しい方向性だよね。

The Dictionary of Obscure Sorrows





Onism: 体験できることは、わずかだと気付くこと


たったひとつの体に閉じ込められている苛立ち。
人は同時にいくつもの場所に行くことはできないと、空港の出発時刻表の前に立ちすくむ。次々に表示される知らない土地の名前は、まるで他人のパスワードのようだ。
もうひとつだけわかるのは、自分が死んでしまっても見ることができないものがあるということ。地図の上では矢印が、今自分はここにいると示してくれるのだから。






Astrophe: 重力に縛られている感覚


足元を見ずに歩くことは難しい。視線を落とすと世界は回り続ける。どこまでも、地に足をつけたまま。それでもたまに、ふと空を仰いでその先に何があるのか、可能性を空想してみても、やがて地上にいることをまた思い出す。地に足をつけている感覚を、地球の引力に縛られていることを。





Koinophobia: 平凡な日常に感じる焦燥


そこにいる間、世界は計り知れないものに映る。熱っぽくて、不確かで、何が起こるか予測できない。それなのに、一度そこから離れてしまうと、すべてが遠のいて、焦点が合わなくなっていく。
そうして、日々の暮らしの中に興味が持てるものや、魅かれるものを探しはじめる。だけど、そこには平凡な人達が狭い教室や仕事場に集まって、まるでボードゲームの上で駒が動くように、歩き回っているだけに見えてしまう。






Ballagàrraidh: 大自然の中で「自分は今、家にいない」と気付くこと


人類の物語は野山から大都会へと移り変わってしまった。けれども、それはあまりにも急速すぎて、どこかでまだ楽園を覚えている自分がいる。その憧憬のイメージは、雑踏の中で車を停めて森へと逃げ出したくさせるけれど、心のどこかで楽園は幻想に過ぎないとも知っている。どこへ行こうとも、雲で作られた文明を追うように、私たちはその上に浮かんでいる。







*この他にも暗闇にキラリと光る、繊細すぎる感性で作られた単語がたくさんあるので、興味のある方は是非。



私がよく感じるのは、2番目のVemödalen(すでにあるものに感じる嫌悪感)。
I feel deeply vemödalen in a morning, when I choose something ordinary clothes to wear. と、自分の創造力が殺されていくような気になる。

誰にでもあるよね、こういうことって。




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